いつの頃からだろう?
気がつくと僕は壺の中に居た。
いや、正確に云おう。僕は壺の中に居る”らしい”のだ。何故ならその”壺の中”とやらは、深淵と漆黒に
支配されているらしく何も解らない。眼前に手を翳しても解らない程の暗黒・・・・・・と云えば後は推して
知るべし、なのである。
では、何故僕がここを”壺の中”と設定出来たのか、君たちは不思議に思うこと頻りだと思われる事は
想像に難くない。
ん? ちょっと文脈がおかしいな。よく解らないのだが、こうやって壺の中で生活している内に記憶を司る
海馬と、言語連合野が異常をきたすようになってきているようなのだ。
だから、もし聞き苦しくても勘弁して戴きたい。
そうそう、「どうして僕が壺の中に居るかを知っているのか」だったね。
実はそう不思議でも無い。壺には口が在って、僕は時々そこから外に顔を出す事が出来るからなんだ。
と云っても、文字通り「顔を出す」事が出来るだけで、躰を出す事も出来なければ手を出す事も出来ない。
だけど顔に爽やかな風を感じた時なんかは、やっぱり幸せ。唯一の愉しみと云っても過言では無いかも知れないが、
最近顔が強張って来ているらしく感覚が鈍くなって来ているのが残念だ。
うん?
壺の口が開いているなら、どうして暗闇に包まれているかって?
そうそう、それを説明するのを忘れていたよ。
普段は口に蓋がしてあって、偶に、そうだなあ・・・・・・僕の感覚だと多い時で二、三日一度か、少ない時で週にに一度くらい。
そして光明が差し込んだかと思ったら、誰かの手が伸びて来て僕を掴んで引き上げてくれるんだ。
その手は、僕を壺から出してくれようとしているように思うんだけど、僕の躰がどうしても壺口に引っ掛かって
しまってどうしても失敗してしまう。
だから食事はその人が壺の中に入れてくれるんだ。時には錠剤や苦めの粉末が(多分香辛料の類なんだろう)
差し入れられ、時には水やちょっと粘っこい液体(ジャム?)を入れてくれる。
だから僕がこうして居られるのもあの人のお蔭。
感謝、感謝、超感謝!
その人は誰なのかって?
残念だけど、暗闇で長い間生活している内に眼がかなり悪くなったらしく、ぼんやりとしか解らない。
でも、どうやらその人は女性らしいと云うのが僕の見解。だって薄っすら見えるシルエットは長い髪だし、
僕を包む手はあまり大きくなくて柔らかいのだから。
多分今日辺りまた来てくれるんじゃないかな。
前に貰った食べ物も全部食べちゃったからね。
おっ、そう云っている間にもほら、天井から明かりが差し込んで来たよ!
壺に乗せられた蓋が除かれると、僕の鼻に何とも云い難い悪臭が漂ってきた。唯一の採光窓である
壺口からの光明を頼りに顔を近づけた。勿論、鼻孔を手で抓み、口を閉じたままで。
手を差し入れ、頭を掴んで引き上げる。ゆっくりと引き揚げられて、やはり壺口に引っ掛かった。
そして僕は彼女に向かってこう云った。
『いくらなんでも恋人の首を漬けておくのは感心しませんね』
事件は解決した。首の無い死体の身元が割れたのが二日前。交友関係を洗っている内に恋人である
彼女との不仲の情報を入手した。首を切断する際の血痕がバスから採取された事を告げると、彼女は総てを自供した。
別れ話を告げられるのが怖くて、料理に睡眠薬を混入した後殺害した事。
自分との関係を隠蔽する目的で首を切り落とし、指紋を潰した事。
首は時期を待つ為、止む無く居間の大きな壺に隠した事。
しかし、いざ処分しようとしたら壺口の大きさと首の大きさが同じで取り出そうにも取り出せなかった事。(入れる時にも引っ掛かったが、無理やり押し込んだらしい)
腐敗臭を消す為に消臭剤と油で壺を充たしていた事。
・・・・・・等。
しかし壺に押し込まれ厳重に封印されていた彼(首だけだが)の気持ちはどうだったであろう。
狭い暗闇の中で消臭剤と油に塗れた彼の胸中を知る術は無い。彼にとってはこの壺の中が世界の総てだったのだ。
そんな彼の気持ちは・・・・・・推して知るしかない。
しかし不思議なのは、混入していた筈の消臭剤の錠剤が無くなっていた事だ。見解では融解したのでは、
とされていたが果たして使い古した天麩羅油に融解作用が在るのか、僕は知らない。
- 了 -
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