「人生とは、なんだい?」
目を開くと、後ろに誰かが居るのが解る。俺は首をひねって後ろを見ようとした
が、どうしても後ろを見る事が出来なかった。もしかしたら後ろから首根っこを
掴まえられているのかもしれない。
しかしこいつは・・・・・・誰なんだ?
そして、何を云っている?
人生哲学を語り合うほど俺は暇じゃない、はずだ。
「記憶が定かじゃないんでしょう? でもまあ、今私と話しをするのには何の
不都合も無いからさ。気にしないで欲しいな。さて繰り返しになるけど、
人生って一体なんだろうね?」
記憶が定かじゃ・・・・・・無い?
確かにそうだ。
だったら、なおさらてめぇなんかに構ってる暇はねぇ。
「そんなに邪険にしないでよ。じゃあさ、こう思った事はないかな。つまり
人生とはすべからく二択である、と」
は?
わけわかんねーよ。
「まあ場合によっては三択だったり五択だったりするけどさ、突き詰めていったら
どちらか一方を選択しつづけるのが人生なんじゃないか、ってね。何をするにも
人は何かを選び何かを棄ててきた。人生において些細な事も人生を揺るがす
ような大事な場面でも、人は必ず選択してきたんだ」
当ったり前じゃないか、そんな事。
パンとご飯を同時に食べる事は(少なくとも俺には)できない。
何かを選べば何かを喪う・・・・・・それは当然じゃないか!
「君は自分が選択した道が正しかったと云えるかい? またはその逆でもいいや、
選択した道が選択しなかった道と比べてどう違うのか、君はそれを知りたいとは
思わないかな。一方の道を選択した瞬間、もう一方の道は閉ざされ、その先は
深遠へと消えていく。君は一体いくつも可能性を失ってきた?」
そんなのは子どもの妄想だ。
パラレルワールドって奴か?
きっと成功への道を歩んでいるだろう、もう一人の自分。
果たせなかった想いを成就させている自分。
だがな、量子力学を持ち出すまでも無く、そんな論証は無意味なんだ。
「ふふ、意外と博学だね。不確定性理論ってやつに従うとすれば、君がどちらか
一方の道を選択した瞬間に、その選択に対する結果が収束される。つまりは
二択なんてないんだ。何かを選択するまでの可能性は無限大なんだから。
でも君自身、そんな事に納得はしてないだろう?」
・・・・・・確かにそうだ。
今まで俺は無数の選択をしてきた。それは常に公平な条件を提示してきた
わけじゃないが、それでも俺は最善の選択をしてきたつもりだった。だが、その
選択に満足した事は一度も無い。進路や就職、愛した女への態度。その
全てに対して俺の選択は間違っていた。
結局ものにならなかった専門学校、学校で覚えた事とは全く無縁の就職先。
そして心底愛した女を困惑させた態度。その全ては俺自身が選択した結果
であり、その責を負うべきなのも俺自身。
だが、そんな事は。
「そんな事は云われなくても解ってる? しかし人間ってのは面白い存在だよ。
その精神構造上、ファジィでアナログ的存在なのにも関わらず、有史以来
デジタル的行動である二択行為を続けているのだから」
仕方ない事じゃないか。
そりゃ時間を戻してやり直せるものなら、とっくにそうしてる。今度は大学に
でも行って、好きな勉強をしてみたいし、愛した女を今度こそ支えて守って
やれる。でも選択しなかった道に対する保険なんてかけられるわけはない。
それによ、もし自分が選択して絶望しているこの状況の方がマシだった
なんて事になったら、俺はどうしたらいい? 今の、こんな状況が実はアタリ
でした、なんて事になったら。
今の俺に唯一残された想像の翼までがもぎ取られてしまうんだぜ?
やってられっかっての。
手に入れて喪うくらいなら最初から無いほうがいい。知って後悔するなら
知らない方が良い。一度濡れてしまった紙を乾かしても決して元通りには
ならないからな。
俺は自分が選択した道を唯一無二の道だと思う事にしている。それなら
選択する事への恐怖が少しでも緩和されるってもんだ。
「ふぅん、面白い考え方をするね。あったかも知れない、出来たかも知れない
可能性にひたすら耳をふさぎ、目を閉じる事によって自己の正当化を図ろうと
しているんだね。いうなれば、ポジティブな悲観主義者ってとこ?」
そうさ、俺は臆病で卑怯者で利己的で・・・・・・
それしかなかったんだと、常に自分に言い聞かせる事でどうにかここまでやって
来たんだ。まさか、まさか認めたくは無い。
あんな───
「自分が間違った道を選択しているのではなく、選択した道が間違った結果に
変貌する。自らが選択すると云う関わりを持つ事によって、結果は歪められ
常に望まざる結果になってしまう事、を?」
そう。
あらゆる人生の選択を間違い続けた俺は、いつしか「自分が選択した結果が
悪かった」のではなく「選択した結果が悪くなる」と思い込んでいた。あたかも目
隠しをしたまま匣の中のくじを引かされているように。しかもハズレしか入っていない
くじを、だ。
そして「今回はダメだった」と思うだろう。
だが果たしてそうなのだろうか?
「くくっ、よくそこに気がついたね。そう、そうなんだよ! 君が悪いわけじゃない。
どんな選択をしたって良くなる事なんてないんだよ。確かに君の前には無数の選択肢が
あるように見えるよね。でもね、それは欺瞞なんだ。どの選択肢も君の希望する道へは
通じていない。それでも君は可能性を信じたつもりになって行動してきたんだよ」
それが本当だとしたら。
俺の人生はなんなんだ?
叶う事のない希望に縋って、漸く辿り着いたと思ったのは蜃気楼。
正解の無い二択に何の価値がある?
答えが複数用意されているクイズじゃないか。
「まあまあ、そう悲観する事もないよ。君には最悪の人生だったかもしれないけど、
こちらとしては結構愉しめたし。でも君がそれに気がついてしまったらもう愉しめないね。
でも、今まで愉しく観察させてくれたお礼として君に贈り物をしよう」
ぱちり、と指を弾いた音に俺は我に返った。
右手にはロープを、左手にもロープが。
そして・・・・・・首にも。
記憶が、戻った。
「君の望み、それは君の願い通りの選択が出来ること。だから君に2つの選択肢を
あげたんだ。右手のロープを離せば、床が開いて君は落ちて首のロープが食い込む。
左手のロープを離せば、君には見えないだろうけど、ギヨタン博士が考案した政府公認
安楽死機巧、ギロチンが君の首を刎ねる・・・・・・どうだい、与えられた選択肢の内、
どちらを選択しても、君が望んでいた人生からの離脱が叶うって寸法さ」
確かに俺は自分自身に絶望を感じていた。
ちょっとした事でも自分の思うようにいかない人生。
それで「自分の人生」なんて云えるわけない。
最期の最期になって、漸く自分の望んだ通りの結果を得ることができるのか?
そう思うと、笑わずにはいられない。
・・・・・・おっと、油断してロープから手を離さないようにしないとな。
しかし、お前は、誰、だ?
「ん、ボクかい? ボクは単なる『観察者』だよ。だから今まで観察してるだけだったじゃない。
でも『観察者』のボクが関わった時点でもう観察は出来なくなっちゃう。だから最期に君の
望みを叶えてあげようと思ったのさ」
ふ・・・・・・ん。
まあ、お前が誰でもいいけどな。
一応礼をいっとくぜ。
さんきゅ。
「いやいや、礼には及ばないよ。さ、後は思う存分選択したまえ。これが最期の
選択になるから慎重にね。さて、どちらを選ぶ───?」
右か、左か。
くくく、なんて愉しい瞬間だ。
これが───選択するって事だったのか。
- 了 -
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