魂魄堂 書庫

- REVERSE -


ボクはこの世界の「表側」が嫌いだ。
と云っても机の表面やら服の表の事では無い。物事には常に「裏側」が在って、何故か人はそれを隠そうとする。 人が転べば、内心「馬鹿なヤツだ」と思いながらも「大丈夫ですか?」と声を掛け、宝くじに当たったと聞けば 「何でお前なんだ」と思いつつ「おめでとう」と声を掛ける。

・・・・・・うんざりだ。

だからボクは「裏返す」方法を見つけ出した。
時々「人が変わったようだ」とか「あんなに良い人がどうして」と云われる事が在るが、何の事は無い、あれはボクやボクと同じ 力を持った同類の仕業なのだ。ボクは心を「裏返す」。「裏返された」人々は人が変わったのでは無く、元来そういう人間 だっただけの事だ。「裏表の無い人」と云う言葉は、今の処唯の虚像に過ぎない。数十人、数百人と「裏返し」てきたが 未だそんな奇矯な人間には出逢った事は無い。精々物心つかぬ赤子くらいだろう。
先日古い友人と話をしている際に、彼も「裏心の在る人間」である事を知った。人には、否ボクにだって世間体や立場が あるから、総てに対して裏心の無い行動を取ると云うのは難しいだろう。実際の行動と心は別の事なのだから。でもそんな 必要の無い時、全くの他人に対する感情や、気の置けない親友に対しての感情には「裏心」は存在してはならない。
しかし彼の心には「裏心」が在った。彼から何か余所余所しさを感じたボクは彼を「裏返し」てみた。また後で「裏返し直せ」ば いいのだ。
彼は云った。
ボクは言葉にトゲが在りすぎる。正直すぎて言葉や態度に遠慮が無さ過ぎる。他の友人の評判が余り良くないから、 余り近くに居たくないのだ、と。

ボクは彼を「裏返し」たまま、独り家路に着いた。
だったらどうしてそう云わないのだろう。云ってくれればボクだってわざわざ他人の厭がる行動はしないし、相手に合わせる 事もあるだろう。言葉だって選ぶし、偶には遠慮したって構わない。
自己中心的な我が儘と、心の裏表とは別なのだ。その言葉をボクに黙って逃げようとするのが「裏心」なのだ。
それからボクはずっと考え、在る事に思い至った。
人の脳が左右二つ在るのと同様、人はその躯に二つの人格を宿しているのではないか。その二つの人格は一つの躯と、 一つの記憶を共有しているので、一つのアイデンティティをも共有しているのではないか。と、そう考えたのだ。
そしてその二つの人格の入れ替わりと云うものが秘かに行われていて、それが頻繁なら比較的「裏表の無い人」と呼ばれ、 片方の人格が表に出てこなければ「裏の在る人」と認識されるに違いない。時々顕れる二重人格者とは、互いの存在に 気が付いてしまい、個々に存在を主張した結果なのではないか。
更に「世界」にも裏と表が在って、それぞれの人格に合う方に存在しているのだ。だからボクがこの世界に違和感を感じる のは、此処がボクの居るべき世界じゃ無いから。表と裏の概念が正反対なのにも得心する。

だからボクは、ボク自身を「裏返す」事を決意した。唯単に「裏返す」だけだと何かの契機でこの世界に戻ってきてしまうかも 知れない。「裏返す」のはボクの「心」ではなく、ボクの「存在」そのもの。心を躯ごと「裏返せ」ば、この世界でもボクは消滅し、 二度と戻って来る事は無いだろうから。

「裏返れ」!

ボクの心と躯はこの世界から滅する。後は「もう一つの」世界に行くだけだ。
段々視界が霞んできて、闇が濃くなってくる。胸が苦しくて息が詰まる。
おかしいな・・・まだ・・・到達しないのか?
次第に、意識が、遠く、なって・・・・・・
深淵に包まれ、ボクは悟った。
「表」が存在してこその「裏」。どちらか一方のみの存在など赦される訳がないのだ。
つまりボクはもう、「何処にも存在しない存在」なのだ、と。

- 了 -

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