魂魄堂 書庫

- 五年目の誕生日 -


 三貴拓也は椅子に腰を落ち着けると、スイッチを入れた。聞き慣れた音と共にディスプレイに光が灯る。 文字列が画面を流れ、再び画面が暗黒に染まる。

A:\>a:\network\system\・・・・・・
 手慣れた要領でキーを打つ。キーボードを見ながら一文字づつ打つのは卒業している。 アクセスランプが赤く点滅し画面が切り替わる。そこには幾つかのメニューが表示されていた。 一番上の項目を選択しリターンキーを押す。
 電話番号が表示され、

>OK
>ATQ0V1E1X4E2
 傍らに置いたモデムから電子音が聞こえ、続いて耳障りな音が聞こえる。 初めて聞いた時には随分と驚いたものだ。数回の呼び出し音の後、回線が接続される。
 三貴の趣味は最近何かと話題になってきている、パソコン通信である。と、言っても騒がれているインターネットではない。 手続きが面倒であったし、行きたいホームページと言うのも無かった。それに商用ネットと言うのでもない。 今接続したのは個人がやっている草の根ネットと呼ばれている所だ。こういった小規模の方が親しい付き合いが出来るだろうと思っていた。
 画面が流れ、メニューが表示される。

MAIN>w
CH00 月光仮面
CH01 ログインされていません
CH02 TrF
CH03 miki

「お、二人も来てるのか」
 二人はチャットをしているようだった。三貴も参加しようとコマンドを入力する。
miki   >こんばんは
TrF   >あ、mikiさん。こんばんは
月光仮面 >久しぶりですね
miki >いやあ、最近忙しくて。明日休みになったんで来てみたんですよ。そしたらTrFさん達が来ているじゃないですか
TrF >で、mikiさんも来たと(笑)
miki >そうそう、こんな機会はそうそうありませんし
月光仮面 >仕事の方はどうです? 上手くいってます?
miki >まあまあです
 それから他愛のない話を十分程した後、二人はチャットを終了し回線を切断した。 三木は書き込まれているはずのフォーラムの未読を読み出す。結構書き込みは多いようだ。 画面上の文字が高速で流れる。
 回線を切断しようとした時、
MAIN>ryokoさんから電報です
    はじめまして。この間ネットに入ったryokoです
    これから宜しくお願いしますね
「ryoko・・・・・・りょうこ・・・・・・涼子・・・・・・」
 呟く三貴の脳裏に、一人の少女の姿が思い浮かぶ。
「もう五年になるのか・・・・・・」


 五年前の秋、まだ高校生だった俺は一人の少女と交際していた。少女の名は広沢涼子。 一つ年下の後輩だった。小柄な体躯で、長い髪を紅いリボンで纏めているのが印象的だった。 性格的にもおとなしく、可憐だとか清楚といった言葉が似合っていた。
 俺は美術部に属していて、その日は差し迫っている展示会に出品するための油絵を夜遅くまで残って描いていた。 彼女も同じ展示会に出す彫刻を彫るために居残っていた。
 結局八時過ぎまで居残り、俺達は暗くなった路を急いだ。彼女の家は俺の家に帰る途中にあったし、 彼女一人で夜道を歩かせるのもためらわれたので、俺は彼女の家まで送る事にしたんだ。
 彼女の家に着いた時、それまで無口だった彼女の口が開いた。
「付き合ってくれませんか?」
 簡単明瞭なその言葉は、しかし俺の思考を混乱させた。意外な言葉だった。 少なくとも、彼女から俺に発せられる言葉とは思えなかった。
 俺がいろいろ考えている間、彼女はじぃっと俺の眼を見つめていた。緊張のためかせわしなく動く彼女の瞳はとても美しかった。
「いいよ」
 俺の返事を聞くと、彼女は嬉しそうに表情を破顔させ、手を顔の前で合わせ喜んだ。 そんな彼女を見ていると、俺も何だか嬉しくなってくる。
「・・・・・・ありがとうございました。えっと、その、明日また逢いましょうね」
 彼女は、はにかみながらぺこり、と頭を下げると玄関に入っていった。そして扉から顔を出して手を振ってくれた。 俺も手を振り返しながら家路についた。
 次の日、部室で彼女と逢ったがお互い意味も無く緊張してしまい、何だか照れ臭かった。 俺と彼女はそれから毎日、展示会に出す作品を完成させる為に居残った。 彼女の彫刻の方が先に完成したんだけど、彼女は俺の為に一緒に残って手伝ってくれたり、 夜食にとお弁当を作ってくれたりもした。
 休みの日には彼女と買物をしたり、映画を観たり・・・・・・まあ、普通のカップルと何ら変わらない。
 肝心の展示会では、俺が準入選で彼女が佳作に入賞した。その日、俺達は彼女の家でささやかなお祝いをした。 小さなケーキを二つ買って・・・・・・その帰り、俺は彼女とキスをした。緊張したのが自分でも解った。 彼女はもっと緊張していたのか、躯がだいぶ震えていた。初めてのキスの味は・・・・・・当然ケーキの味だ。 後で彼女と二人、笑ったよ。
 それから一年後、俺は高校を卒業し市外の専門学校へと進んだ。俺の最後の作品は見事入選を果たした。 俺が卒業してからも、彼女との交際は続いていた。暇を見ては彼女を連れ出し、いろんな所へ出かけたものだ。
 次の年の彼女の誕生日に、俺は彼女を抱いた。レストランで食事をした後、どちらとも無くホテルへ入っていった。 初めて見た彼女の躯は奇麗で、重ね合わせた肌は温かかった。痛みに零れた涙を彼女は「嬉しかったから」と言ってくれた。 嬉しくなって彼女を力一杯抱きしめた。彼女の寝顔を見たのも初めてだった。彼女の可愛い寝顔を眺めながら、 その長い髪を撫でた。さらさらした感触が俺の手をくすぐった。次の日は案の定、お互い照れて顔を合わせる事が出来なかったな。
 彼女との関係は続いたが、そこに変化が生じた。俺が行っている専門学校の同じクラスに羽田清美という女がいた。 明るくはきはきした彼女とは、何かにつけて気が合った。俺と彼女との接点は日増しになり、 いつの間にか休日に一緒に出掛けるようになっていった。
 ある日俺は酒に酔った勢いか、はたまた俺の心の中にそんな願望があったのか、彼女を抱いた。 俺は涼子を裏切るつもりは無かった。しかし実際俺は裏切ってしまった。魔がさした・・・・・・というのは言い訳に過ぎない。 俺はホテルに一泊して次の日その帰り路、彼女と彼女・・・・・・涼子と清美が出逢った。
そこは喫茶店だった。俺は涼子といつもそこで逢っていた。偶然の一致か、無意識の内にか俺はその前を通った。 涼子は俺と清美を見て、何も言わずに去っていった。後ろめたい思いを引きずっている俺は、 彼女の後を追う事が出来なかった。
 その日は大事な話がある、と涼子を呼び出していたんだ。俺はどうする事も出来ずに家に帰った。 それから一週間、彼女とは逢っていない。それどころか電話すらしていない。何と言ったらいいのか解らず、 電話をするのがためらわれたのだ。
 一度話し合おうと受話器を取った。出たのは彼女の母親。俺はその人から聞かされた。
 彼女の死。
 俺と逢ってから二日後、彼女は自室で手首を斬って死んでいたという。自殺だった。 机の上には、一枚の便箋に彼女の細い奇麗な字で、

さようなら
 とだけ書かれていたという。
 その日は丁度通夜の日で、俺は呆然と支度を整えると彼女の家に向かった。 そこで何が行われたのか、殆ど記憶には残っていない。ただ覚えているのは、 眼を閉じて静かに眠っている彼女の顔。それでも彼女は美しかった。
 家に帰って来て、俺は泣いた。力の限り泣き叫んだ。俺は何故、あの日約束を忘れてしまったのだろう・・・・・・ 俺は何故涼子を裏切ってしまったのだろう・・・・・・もう取り戻す事の出来ない彼女との幸せな時を思い描いた。 俺は自らの手で幸せという名の器を割った。割れた器は二度と元には戻らない。


「もう忘れていた・・・・・・忘れようとしたんだ」
 三貴はログアウトし、パソコンの電源を落とした。思い出した事を忘れようと、冷蔵庫からビールを取り出し、 一気に咽に流し込む。心地の良い苦みが咽を通り抜けた。更にもう一本、今度はゆっくりと味わうように呑んだ。 酒には強いほうではないのに、何故か醒めたままだった。
 原因は解っている・・・・・・しかしそれをどうする事も出来ない。もう、忘れる事以外どうしようも無かった。
「昔の話だ・・・・・・俺を苦しませるな。俺に纏わりつくな」
 布団に潜り込み、それでも消えない過去の幻影から逃げるように、眠りの世界にすがった。 眠る事で総てを忘れたかった。やがて意識が暗転し、三貴の望む世界、夢の世界への扉が開いた。


 次の日の目覚めは余り良くなかった。やはりあの事が気掛かりで熟睡する事が出来なかったのだ。 今日は早く床に就こうと思っていたのだが、何となくパソコンの前に座り、電源を入れる。 聞き慣れた唸り声を上げて愛機が起動し始めた。
 通信ソフトを起動させ、回線を繋ぐ。
MAIN>ryokoさんからMAILが届いています。
    読みますか? (y/n):
 珍しくメールが届いていた。送り主は、昨日電報を送ってきたryokoという人物からだった。 この人とは昨日が初めてで何の面識も無い。どんな用件なんだろうか・・・・・・?
読みますか? (y/n):y

覚えていますか・・・・・・あの約束を。私は覚えています。
長い間待ちました。
「約束? 何の事だ? メール送るの初めてで、操作を間違ったんだな。教えておいた方がいいかな」
MAIN>M
誰にメールを送りますか? (ID or HANDLE):ryoko
文章を書いて下さい(終了時には行の先頭に//を記入)

 あの、私の所にあなたからメールが届いてました。
多分、間違って来たと思うので一応お知らせします。
IDナンバーに気を付けましょう(笑)
//

MAIN>書き込みますか? (y/n):y
書き込みました
 それから幾つかのフォーラムを廻り、何個かのレスポンスを書き込んだ。 見た所誰もいなかったので、回線を切断しパソコンの電源を落とした。床に就こうと電灯を消した時、 電子音と共にFAXから一枚の紙が吐き出された。仕事柄FAXを使用してはいるが、ここの所仕事は順調だったはず。 今日は休日だから会社からFAXが送られてくるはずが無かった。
 何気なくその紙を見た三貴は驚愕の余り、紙を取り落とした。床に落ち、僅かな月光に照らし出されたそれには、
さようなら
 とだけ書かれていた。
「馬鹿な・・・・・・誰の悪戯だ?」
 紙は更に送られて来た。
さようなら さようなら
さようなら さようなら
「いい加減にしろ! 彼女の事を知っている奴だな。俺に対するあてつけか? 俺が彼女を裏切ったからか、それにしても悪趣味過ぎる。一体何のつもりなんだ」
 くしゃっと紙を握り潰す。
「待てよ・・・・・・?」
 潰した紙を広げ、皺を直す。そこには紛れも無い涼子の遺書に書かれてあった言葉が書かれている。

 ・・・・・・
 彼女の筆跡で!

 何度見ても、どれを見ても間違い無かった。繊細ながらも、きちんと整った字体。 三貴が見間違えるはずも無い。これを送った奴は彼女の遺書を手に入れたんだろうか?
 再び紙が吐き出される。
さようなら
  さようなら さようなら
    さようなら

よ       さよ
う        うなら
な    さ
ら    よ さようなら
   さよう
     なら
     ら
 紙は止まらない。
さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら さようならさようならさようならさようならさようならさようならさようなら
 茫然とする三貴の耳に用紙切れを警告する電子音が響いた。最後の一枚は、 文字で真っ黒に埋まっていた。
 三貴は無数の用紙に埋もれ自我を失っていた。
不意にパソコンの電源が入った。勿論、三貴が入れたわけでは無い。 振り向いた三貴の目の前でキーボードが叩かれた。キーボードを叩いているそれは、 同じようにモデムの電源も入れ、通信回線を開く。三貴は吸い寄せられるように椅子に座った。
MAIN>ryokoさんからMAILが届いています。
    読みますか? (y/n):
 またもメールが届いていた。三貴の意思に関係無くキーボードは、
読みますか? (y/n):y

忘れていたのですね。五年前のあの日、あなたが私に言ってくれた言葉を。
私はそれを信じていたのに。
嘘だったんですか? 私の事などどうでもよかったのですか?
思い出して・・・・・・あの時の事を
「五年前・・・・・・? 五年前の言葉・・・・・・?」
 そう呟くと同時にパソコンの電源は切れた。それきり総てが沈黙したまま何も語ろうとはしなかった。
「五年前・・・・・・そうか!」


 あの時俺は、「大事な話がある」と彼女を呼び出した。大事な話・・・・・・それは「結婚」だった。 あの時俺のポケットの中には指輪が入っていたんだ。勿論、高価な物じゃない。 でも俺はあの日彼女に結婚を申し込もうとしていたんだ。
 結局それは果たせなかった。俺はその指輪を彼女の棺桶に入れた。
 何故死んでしまったんだ! 俺はお前に結婚を申し込もうとしていたのに。 後五年・・・・・・五年後のお前の誕生日に結婚しようって・・・・・・


「あれから五年、確かに五年だ・・・・・・まさか」
 三貴は壁に掛けてあるカレンダーを見た。ついさっき午前零時を廻って日付は既に変わっていた。
「涼子の誕生日だ。ryokoとは一体何者なんだ? 何故五年前の事を知っている? 何故結婚の事を知っている?」
 三貴は再びパソコンとモデムの電源を入れる。通信ソフトを起動させネットにアクセスした。 先日の二人がアクセスしていた。チャットをしていたので三貴も参加した。
miki >こんばんは
月光仮面 >お、こんな遅くに珍しいですね
TrF >遅くじゃないとチャット何か出来ませんよ(笑)
miki >月光仮面さん、sysopでしたよね?
月光仮面 >ええ
miki >聞きたい事があるんですよ。この間新しく入った「ryoko」さんって何処に住んでるんです?
TrF >そういう事は教えられないですよ>mikiさん
月光仮面 >それ以前にryokoさんなんていませんよ、ここには
「いない? そんな馬鹿な事が・・・・・・」
miki >え? でもryokoさんから電報が届いたり、メールが届いたりしましたよ。
   >それに私の方からメールを送った事もありますし
月光仮面 >でもリストにはいませんよ
TrF >他のネットと間違えたんでしょう
「それこそ間違いだ。昨日の事だぞ? 間違えるはずが無い!」
月光仮面 >ryu_hoさんの間違いじゃ?
miki >無いんですよ
TrF >変な話ですね
miki >私の勘違いかな? 多分違うネットでしょう
   >それじゃあ、私はこれで失礼します
「何がどうなっているのか、俺には理解出来ん!」
 乱暴に電源を切ると、部屋は闇に包まれた。ディスプレイだけが光の残滓を放っていた。
「拓也さん」
 聞き慣れた、それでいて懐かしい声が聞こえた。振り向いて見ても闇があるだけで、何も見えない。 いつの間にか月光が雲に隠れていた。
「拓也さん・・・・・・思い出してくれたようね。私の事、そして約束の事を」
「嘘だ、涼子は死んだんだ。五年前に自殺したんだ・・・・・・」
「でも、あなたは約束してくれた」
 闇の中で何かが赤くきらめいた。
「それは」
「そう、私にくれた婚約の証し。この時をずっと待っていました」
 みしり、と床が軋んだ。いる・・・・・・確かに何かがそこに。三貴は後じさった。
「さあ・・・・・・」
「嫌だ・・・・・・嫌だ・・・・・・嫌だあぁぁ!」
「私と一緒に行きましょう・・・・・・私達は永遠に一緒・・・・・・」

message #5210 is from ryoko
subject 結婚しました!

今日、私結婚しました。相手はmikiさん!
五年前から約束してたんです。五年後の私の誕生日に一緒になろうって。 今日がその誕生日なんです。
これからはずっと一緒、片時も側を離れません。
永遠に私達は一緒なの・・・・・・


- 了 -

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